40歳からの遺書

40歳から書き溜める遺書という名の思い出話

40歳からの遺書

はじめまして。

 

40歳にもなってまさかblogを書き始めるなんて思ってもみなかった。

俺を知る友人や同僚も同じことを思うだろうね。

まあでも、重い腰をえいやと上げる理由がいくつかある。

もちろん説明をさせてもらう。

 

あとはblogのタイトル、遺書っておまえ死ぬんか?って思うだろう。

期待させるつもりはないので先に綴っておくと、至って健康優良児だ。

それについても書いていこうと思う。

 

不定期に近いし、おもろい動画やゲームにハマったタイミングは完全に

放置プレイになると思うので期待はせずに、おっさんのチラ裏だと思って

見守ってほしい。

あと言葉を選ぶつもりもない、思ったことを書きたい。

コメントもくれれば返信もするだろうけど、余計な遠慮もしないし

しなくてよい。

これは隠れコンセプトのつもりだけど、暇なときに語るかもしれない。

語らないかもしれない。

そもそも続けて書くかもわからん!

 

 

 

まずは動機。

いくつかある。

2023年12月、つい先日のこと。

毎年恒例行事である地元の中学校の連れとの忘年会兼同窓会。

人となりについてはいつか書くので今は割愛する。

とにかく毎年幹事として友人に連絡し参加を確認、会場の手配etc...

これらは俺の使命になっていた、俺個人としてもそれほど苦にならず、

毎年気持ちよく酒を飲んでる友人の顔を見てるとやってよかったと思う。

そこでの会話で、

 

俺「もう俺らも40になったし、一年に一回しか会わん奴はもう数える程しか会えないんだな」

友人「そうだよな、学生のころなんて朝から晩まで遊びまわってたし、毎日一緒だったもんな」

俺「歳とったよな」

友人「でも一年に一回、ちゃんと会えてりゃよくね?」

友人「それもそう」

友人「年に2回くらい集まれれば尚よし!」

友人「んじゃヒジよろしくねー」

俺「…」

 

ヒジとは俺のあだ名で、特に隠すこともないし身バレしたところでむしろ有難い

まであるのでそのまま綴る。

というか自分の仮の名前やあだ名を設定するのがめんどくさい。

話それがちだがそもそも「俺」という人格やらを理解してもらいながら見た方が

多分楽しい...はず。

 

話を戻す。

あ、話を戻すってワード、めちゃくちゃ多様すると思う。

俺が国語苦手で文章書く能力が全くないので補足がすんごい入る。

許してチョンマゲ(テヘペロ

 

はい、話を戻す。

この他愛のない会話で俺は、

「あんなに毎日濃密な時間を過ごしてきたこいつらと、あと数回しか会えない?」

「それはすごく寂しいし、もっと会いたいしもっとバカをやりたい」

直感的にそう思ったんだよね。

ただ、少数で会うならば「最近の流行りは~」とか「経済が~」とか、

トレンドな話題は増えるかもしれないが、俺らの飲み会って言ったら

少なくても10人は集まる。

これは開催頻度が年に一回だからってのが一番でかいとは思うが。

ただ40にもなると世帯を持って守る家族がいるとなると、中々難しいもんだ。

俺もその一人だ、妻と子供がいる。

毎週末、家を空けると妻の機嫌がすこぶる悪くなるので直感的に俺にブレーキを

かける。

要するに、俺は学生時代のバカやったり恋愛したり悪いことしたりの思い出話を

いくらでもしたい。

けれどその話って昔の仲間以外にしたところで面白くならないし、

会社の後輩なんかに語ろうものなら、おっさんの昔話ほどつまらないものは無い、

なんて思われたら、おじさん会社いけなくなっちゃう...

 

てのがきっかけで、このblogに吐き出して永代供養をしてやろうって作戦なんだよね。

それがいつまで続くかわからんが、俺の記憶を、俺の言葉で、俺のやりたいように

書き残そう、それがこのblogなんだよね、だから遺書って物騒なタイトルになった。

内容は記憶が曖昧になる前に、その時の心境やら楽しかったことを書き残そうと

思った。

誰かのためにはならないと思うけど、誰かの励みや昔話で共感が得られれば

書いてよかったんじゃないかって思えるかなって。

改行やらなんやらで非常に見づらい記事になると思うけど、

俺も精いっぱい文字で語るので、せいぜいタバコのつまみとして見ていってほしい。

よろしくメカドッグ